サンフランシスコへ行くならば
忘れないで花の髪飾り

ヒッピームーヴメントの真っ只中、「サマー・オヴ・ラヴ」と呼ぶにふさわしい
1967年の美しい6月の週末、新しいロックとロックフェスの到来を告げた世紀の祭典
「モンタレー国際ポップフェスティバル」がサンフランシスコの南、モンタレーで開かれた。
ともに24歳のジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリン、25歳のオーティス・レディング、
彼らがここから新時代のスーパースターへと躍り出た。
しかしオーティスは半年後、ジミとジャニスは3年後、
圧倒的な輝きを残したまま旅立つことに…。

2024.3.15(金)
渋谷シネクイント
立川シネマシティ他にて
全国順次公開

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About The Movie

解説

音楽、愛そして花
…それは見果てぬ夢だったのだろうか?

1967年6月、音楽界では歴史の分岐点になるふたつの事件が起きた。ひとつはビートルズの歴史的な傑作アルバム「サージェント・ペッパー・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のリリース。もうひとつは、本作が記録した世界初の大規模なロックイベント、モンタレー国際ポップフェスティバルだ。後者はチャリティイベントとして3日間に渡って行われ、20万人以上の観客を動員。69年のウッドストックに先立つ画期的な出来事として長く語り継がれることになった。
登場するのは、新しい時代の到来を告げ音楽界のレジェンドとなったミュージシャンばかり。今も史上最高のロック・ギタリストと崇められるジミ・ヘンドリックスはギターに火をつける衝撃的なプレイを見せ、女性ロックシンガーの原点ジャニス・ジョプリンは全身から声を絞り出すような圧巻のヴォーカルを披露。当時24歳だった二人は3年後にドラッグの過剰摂取のため他界。25歳だった伝説のソウルシンガー、オーティス・レディングも魂を揺さぶる歌声を聴かせるが半年後に飛行機事故でこの世を去る。フォークロック界の雄サイモン&ガーファンクル、60年代カウンターカルチャーの象徴ジェファーソン・エアプレイン、ブリティッシュロック界の大物ザ・フーやエリック・バードン&ジ・アニマルズ、インド音楽の名手でビートルズのジョージ・ハリスンも師事したラヴィ・シャンカール等々。主催者のジョン・フィリップスもママス&パパスとして舞台に登場。彼が作ったフェスのテーマ曲「花のサンフランシスコ」(歌・スコット・マッケンジー)の「サンフランシスコへ行くならば、忘れないで花の首飾り」という歌詞は、まさに当時、ヒッピーの若者たちが起こした<フラワー・パワー>を象徴している。彼らは<Music, Love&Flowers>を旗印にして、激化していたヴェナム戦争に対する反戦運動を盛り上げた。
監督のペネベイカーは、ボブ・ディランの65年の英国ツアーを記録した傑作『ドント・ルック・バック』(67)、デヴィッド・ボウイの73年の記念碑的なステージ『ジギー・スターダスト』(79)も映画化。2012年にはアカデミー賞名誉賞を受賞している。
音楽映画史に残る傑作でありながら日本で正式に劇場公開されたことのない本作が、今回レストアされた4K・5.1CH版という最良の状態で上映されることになった。本作は2018年、アメリカ国立フィルム保存委員会により「文化的、歴史的、また芸術的に重要」ということで半永久的保存推奨作品に登録されている。

Comments

コメント

モンタレーは、60年代を通じて最も純粋で最も美しい瞬間だった…
それは魔法のようであり時代そのものだった。

デニス・ホッパー

当時のカリフォルニアは、だれにとっても自分を見出すための理想の新天地だった。
そこにはドラッグだけではなく、姿を現し始めたある種の音楽やライフスタイルがあった。

D.A.ペネベイカー監督


朝妻一郎音楽評論家

モントレー・ポップ・フェスティヴァルは、ジャニス・ジョップリンやジミ・ヘンドリックスを紹介することによって、それまでの音楽のメインストリームだったポップスに代わってロックがその中心になったことをはっきりと世の中に告げた画期的なイヴェントだ。

朝日順子音楽ライター/翻訳家

67年の夏はサマー・オブ・ラヴ(愛の夏)と呼ばれ、永遠に歴史に刻まれることとなった。だが、後世のそんな見方も吹き飛ぶような、 演者と観客の垣根を超えた楽しさ・若さ・美しさに、ただただ圧倒される。

荒井晴彦脚本家/映画監督

1967年、俺は二十歳だった。その年の6月、「花のサンフランシスコ」で「モンタレー・ポップ・フェス」が開かれた。「夢のカリフォルニア」を歌うママ・パパ。絶叫するジャニス、 「愛しすぎて」が沁みるオーティス、ギターを燃やすジミ・ヘン。あっちはドリーミーな時代だったのか。こっちは10月のハネダから闘いの時代が始まった。 『モンタレー・ポップ』は時代が写っているコンサート映画だ。 あの時代、思い出すと泣けてくる。

石橋静河俳優

60年代アメリカの若者たちの叫び、嘆き、喜び、それは決して美しいものだけではない。しかし、 そのままカルチャーとして、ファッションとして残り続けていることに、アメリカの強さを感じた。

大鷹俊一音楽ライター

驚いた! 何度見たかわからない音楽界最重要フィルムが、4Kレストア&リマスターでまったく新しい生命を得て、ジミやジャニスが生まれ変わり、すべてここから始まった瞬間が鮮やかに蘇る。 全音楽ファン必見!

大和田俊之ポピュラー音楽研究

ロック・ミュージックの本質とは、極彩色のカレイドスコープのごとく幻覚症状を引き起こすことである──今回のレストア/リマスターされた映像と音響で、このことがこれ以上ないほど鮮明になった。 夏フェスの原点ともいえるイベントを、この機会にぜひとも体験して欲しい。

岡村詩野音楽評論家、TURN編集長

ただただ次々と演奏シーンが流れるだけのとてもシンプルなドキュメンタリーだ。 なのに、いや、だからこそ、 カウンター・カルチャーのエネルギー、若者たちのホットな息吹をフィジカルに結晶化させるのは音楽、という真理を見事に表出させている。 ただ、髪に花を飾ってサンフランシスコに行く……そんな時代がこのあと長く続かないことも私たちは知っているのだけど。

オノ セイゲン録音エンジニア/アーティスト

音楽の力。これでいい。 ジャニス・ジョブリン、オーティス・レディング、圧倒的なのはラヴィ・シャンカール。 そもそも音楽にジャンルなんか関係ない。70年代終わりテクノの登場から80年代以降のロック、ポップのように機械のように正確な8ビートはなんともつまらない音楽に聞こえてくる。

亀渕昭信ラジオDJ

このドキュメンタリー、音がとっても良い。必見は、ジャニス・ジョプリン、ザ・フーの4人、そしてジミ・ヘンドリックスのパフォーマンス。ジミヘンはエクスペリエンスの二人もキチンと観ること。 ロック・ファンなら極楽に行けます。

Josh Surface (from VVV)ボーカル/作曲家

どうしてこんなにも、みんな活気に溢れているのでしょうか? 名曲の数々、野生的なリズム、演者も観客もお互いを尊重し、音楽を楽しんでいる姿に心が奪われてしまいます。 ラヴィ・シャンカルによる圧巻のパフォーマンスで会場が一つになった瞬間、 見失っていた何かを、この映画で発見できるかもしれません。

ジョージ・カックルDJ/コラムニスト

これはロックの歴史上のキーポイントになる音楽フェスだ。白人ロックの世界で、R&Bのオーティス・レディングが成功を収めたという偉業、ジミ・ヘンがステージを終えた時にギターを燃やすあの有名なシーン、ジャニス・ジョプリンのデビューなど、数々のエピソードの数々が詰まっている。音もリマスターされて迫力もある。 For any music fan, a must see!!

SUGIZOミュージシャン

憧れ続けた60年代カルチャーの魅力が凝縮した奇跡のドキュメンタリー。 伝説が目の前で咆哮する。 ジミヘン、ジャニス、そしてシャンカール。 あまりに眩しすぎる。感動しかない。

高田漣音楽家

極上の音響と美しく蘇った映像による時間旅行。 これを体験せずしてロックは語れない。

立川直樹プロデユーサー/ディレクター

あらためて映画というのは素晴らしいメディアだと思った。 『モンタレー・ポップ』が、56年以上経った今、 見せてくれるロックの本物のスピリットと夢。 これはもう“宝物”だ。

田中千世子映画評論家

スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」が体にスッとしみいって60年代の自分に帰っていくようだ。 当時のティーンはみんなポップスを聴いていた。受験勉強しながら深夜放送を聴く子も多く、私はよくFENで音楽を聴いていた。ビートルズのことを初めて知ったのもラジオからだ。アメリカン・ニューシネマの『俺たちに明日はない』や『イージー・ライダー』がモンタレー・ポップ・フェスティバルの少し後に作られたことも感慨深い。フェスティバル会場に降臨するラヴィ・シャンカール!『卒業』の音楽を作ったサイモン&ガーファンクルの演奏シーンも好きだ。

パール兄弟 サエキけんぞう

認識が更新される! D・A・ペネベイカーは「事件としてのロック映像」を嗅ぎ分ける才能に満ちている。それはブラッシュアップされた映像により分かる。無名のジャニス・ジョプリンが咽び歌う様を主宰者の一人ママス&パパスのママ・キャスが口をアングリ開けて見入る映像のはさみ方など、最高。ジョージ・カックルによるネイティヴに意味を汲み取った字幕の力も素晴らしい。

ピーター・バラカンブロードキャスター

1967年夏は「サマー・オヴ・ラヴ」、サン・フランシスコを中心にポピュラー音楽に革命が起きる転換点でした。そのまだ混とんとした様子を生々しく捉えたのが『モンタレー・ポップ』です。 コンサート映画というより文化現象の記録として見るとその歴史的価値がよく分かると思います。

吉村栄一著述業

ジャニス、オーティス、ザ・フー、ジミヘンはやはり圧巻。しかしそれだけではない。人種、ジャンルを超えた真のインターナショナルなフェスだ。演者、観客の装いも、ヒッピー、モッズ、ロッカーズと60年代ファッションの俯瞰のよう。 この映画に収められた、平和で多様性に満ちた未来を信じている人たちの姿はまぶしい。

Musicians & Setlists

ミュージシャンと演奏曲

ジャニス・ジョプリン ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー
「コンビネーション・オブ・ザ・トゥー」

スコット・マッケンジー
「*花のサンフランシスコ」

ママス&パパス
「*クリーク・アレイ」「夢のカリフォルニア」

キャンド・ヒート
「ローリン・アンド・タンブリン」

サイモン&ガーファンクル
「59番街橋の歌」

ヒュー・マセケラ
「バジャブラ・ボンケ」

ジェファーソン・エアプレイン
「ハイ・フライング・バード」「トゥデイ」

ジャニス・ジョプリン ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー
「ボール・アンド・チェイン」

エリック・バードン&ジ・アニマルズ
「黒くぬれ!」

ザ・フー
「マイ・ジェネレーション」

カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ
「セクション43」

オーティス・レディング
「シェイク」「愛しすぎて」

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
「ワイルド・シング」

ママス&パパス
「感じるね」

ラヴィ・シャンカール
「ドゥン」

ジャニス・ジョプリン

1943-1970

1960年代後半のアメリカにおけるカウンター・カルチャー時代を象徴する破滅型の女性ロック・シンガー。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第28位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第46位。ジャニスは、モントレー・ポップ・フェスティバルにおける演奏で大きな注目を集めるようになった。彼女は、ビッグ・ママ・ソーントンの「ボール・アンド・チェイン」を荒々しい歌声で歌いこなしてみせた。本作では、群衆の中に紛れたキャス・エリオットが「Wow, that’s really heavy」と呟く姿が撮影されている。1968年のアルバム「チープ・スリル」でその評価を決定づけることになった。1969年にウッドストックにも出演したが、1970年死去。1971年1月発表のアルバム「パール」は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。

スコット・マッケンジー

1939-2012

フロリダ州ジャクソンビルで生まれ、少年時代をノースカロライナ州やバージニア州で過ごした。後のママス&パパスのメンバーとなるジョン・フィリップスと出会い、同じバンドで活動するなどをして親交を深めた。1967年5月、そのジョン・フィリップスが書いた楽曲「San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」(邦題:花のサンフランシスコ) をシングルとしてリリースし、全米4位を記録。2012年ロサンゼルスの自宅で死去。

ママス&パパス

オリジナル・メンバー:ジョン・フィリップス(1935-2001)、デニー・ドハーティ(1940-2007)、キャス・エリオット(1941-1974)、ミッシェル・フィリップス(1944-)
この4人がママス・パパスを結成し、「夢のカリフォルニア」でデビューしたのは1965年。いきなり全米NO.4の大ヒット、一躍最前線に躍り出ることになった。続く「マンデー・マンデー」もNO.1になり、この曲でグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ロックン・ロール・グループの栄冠に輝いた。以降も「アイ・ソー・ハー・アゲイン」(NO.5)「愛の言葉」(NO.5)「愛する君に」(NO.2)、デビューまでの道程を綴った自伝的な作品「クリーク・アレー」(NO.5)など相次いでチャート・ヒットを10数曲放ち、完成度の高いポップ・アルバムも4枚発表。ファーストがNO.1になったのを始め、タテ続けにベスト・セラーを記録。1968年解散。

キャンド・ヒート

1965年にロサンゼルスで結成されたアメリカのブルースおよびロック・バンド。2人のブルース愛好家であるアラン・ウィルソン(1943-1970)とボブ・ハイト(1943-1981)によって発進され、バンド名は、トミー・ジョンソンの1928年の「キャンド・ヒート・ブルース (Canned Heat Blues)」から名付けられた。モンタレーとウッドストックのフェスティバルに出演した後世界的に有名になった。ブルースのスタンダードを独自の楽曲とともに演奏し、時には長い「サイケデリック」なソロにふけることもあった。「ゴーイン・アップ・ザ・カントリー」と「オン・ザ・ロード・アゲイン」は、国際的なヒット曲となった。

サイモン&ガーファンクル

ポール・サイモン(1941-)とアート・ガーファンクル(1941-)によるアメリカのフォーク・デュオ。「サウンド・オブ・サイレンス」、「ミセス・ロビンソン」、「明日に架ける橋」 などのヒット曲は、全米チャートで第1位に達した。1964年にデビューし、1970年に活動を停止するまで、フォーク、フォーク・ロックを代表するデュオとして数々のヒット曲を世に送りだした。7つのグラミー賞を受賞し、1990年にロックの殿堂入り。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第40位。

ヒュー・マセケラ

1939-2018

南アフリカ出身のトランペット、フリューゲルホーン、コルネット奏者にして、作曲家で歌手。幼少時より歌とピアノを演奏している。14歳の時、カーク・ダグラスがジャズ・ミュージシャンのビックス・バイダーベックを演じた映画『情熱の狂想曲 (Young Man With a Horn)』を観て、彼はトランペットを手に取った。1968年に発表したシングル「グレイジング・イン・ザ・グラス」が、Billboard Hot 100の1位を記録した。

ジェファーソン・エアプレイン

反体制や薬物体験を歌った歌詞などにより、「60年代カウンターカルチャー」の申し子とも見られた。マーティ・バリン(1942-2018)とポール・カントナー(1941-2016)の2人が出会い、1965年にジェファーソン・エアプレインの母体が出来上がる。1967年グレイス・スリック(1939-)が加入してバンドに一大飛躍をもたらす。そのカリスマ性を体現するかのような強力な歌声で、アルバムから「ホワイト・ラビット」の中ヒット、「サムバディ・トゥ・ラブ:Somebody To Love」の大ヒットが生まれた。モンタレー・ポップ・フェスティバルへの出演によりエアプレインの名前は全米に広まった。この頃よりライブ照明にリキッドライトを導入。1967~1969年にかけて人気はピークに達した。1972年に最後のツアーが行なわれた後、翌1973年正式に解散。

エリック・バードン&ジ・アニマルズ

1963年、イギリスのニューカッスル・アポン・タインでエリック・バードン(ヴォーカル 1941-)、アラン・プライス(オルガン、ピアノ 1942-)、ヒルトン・ヴァレンタイン(ギター 1943-2021)、チャス・チャンドラー(ベース 1938-1996)、ジョン・スティール(ドラムス 1941-)の5人で結成。「朝日のあたる家」が最大のヒット曲として知られている。また、「朝日のない街」は、全英2位に輝き、ブルース・スプリングスティーンやボン・ジョヴィなど、多くのアーティストがカバー。他にも「悲しき願い」「孤独の叫び」など数多くのヒットを放つ。1966年に、本拠地をサンフランシスコへ移し「エリック・バードン&ジ・アニマルズ」として再始動。この時期の代表曲に「サンフランシスコの夜」があり、また1968年の曲「スカイ・パイロット」は、サイケデリック・ロックの反戦歌と認識されている。1994年に、ロックの殿堂入り。

ザ・フー

ロジャー・ダルトリー(ヴォーカル1944-)、ピート・タウンゼント(ギター、ヴォーカル 1945-)、ジョン・エントウィッスル(ベース、ヴォーカル 1944-2002)、キース・ムーン(ドラム 1946-1978)によるイギリスのビート・グループ、ロックバンド。ハードロック、サイケデリアなどの音楽性を持つ。ビートルズ、ローリング・ストーンズと並び、イギリスの3大ロックバンドの一つに数えられる。スモール・フェイセス(のちフェイセズに改名)と並び2大モッズ・バンドと評された。1969年に発表されたアルバム「ロック・オペラ “トミー”」ではロック・オペラを展開。またザ・フーの音楽性は、ハードロックや「フーズ・ネクスト」(1971年)でのシンセサイザーの使用などプログレッシヴ・ロックの傾向もあった。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第29位。

カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ

1960年代のサイケデリック・ロック・グループで、リード・シンガーはジョセフ・アレン・マクドナルド(Joseph Allen McDonald、1942- )。最も有名な曲は「フィッシュ・チアー/アイム・ フィクシン・トゥ・ダイ・ラグ (The “Fish” Cheer/I-Feel-Like-I’m-Fixin’-To-Die Rag)」は、ベトナム戦争を歌ったブラック・コメディのノベルティ・ソング(novelty song)であり、コーラスの部分(”One, two, three, what are we fighting for?”「1..2..3..何のために戦ってるんだ」の意)は、1960年代から1970年代にかけて、ウッドストック世代の若者たちやベトナム帰還兵たちの間で広く親しまれた。

オーティス・レディング

1941-1967

アメリカのシンガーソングライター。独特の歌唱法でソウルに多大な影響を与えた。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第8位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第21位。
白人のロック・ミュージシャンが多数出演するモントレー・ポップ・フェスティバルにオーティスが出ることについて、当初は難色を示す者が多かった。オーティスが使用していたアンプは、ザ・フーやジミ・ヘンドリックスが使用していた大音量のものとは比較にならない程貧弱なものだったが、黒人のソウル・ミュージシャンとして同フェスティバルに出演したオーティスは大観衆の心を虜にし、音楽に人種の壁はないことを示し、大喝采を浴びた。1967年12月10日、オーティス・レディング他8名の乗った双発機「ビーチクラフト モデル 18」が、濃霧で滑走路を見失い墜落死する。

ジミ・ヘンドリックス

1942-1970

アメリカのギタリスト、シンガーソングライター。左利きのギタリストとして有名であった。出生名はジョニー・アレン・ヘンドリックス(Johnny Allen Hendrix)。メジャーデビューしてからわずか4年ほどの活動期間で、ギタリストとして多くのミュージシャンに多大な影響を与えたロック・ミュージックのパイオニアの一人。左利きでありながら右利き用のギターを逆さまにして構え、ギターを歯で弾いたり背中に回して弾いたり、ライブ中にギターに火を放ち破壊するなどの派手なパフォーマンスでも有名である。現在でもロック史上最高のギタリストとして評価されており、「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第1位。「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100組のスター」においては第6位。

ラヴィ・シャンカール

1920-2012

インドのシタール奏者。1960年代には、ビートルズのジョージ・ハリスンを弟子として受け入れる。モンタレーやウッドストックといった大型フェスにも参加。インド音楽だけにとどまらず、ロックやジャズ等にも大きな影響を与える存在となる。しかしモンタレーでのジミ・ヘンドリックスやザ・フーが楽器に対して行った過激なパフォーマンスは、「楽器は神聖なものである」というシャンカールからしてみれば受け入れがたいものだった。ウッドストックに至っては、モンタレーのようなテーマ性を見いだせず観客たちに苦言を呈する場面もあった。 これらをきっかけに、シャンカールはロックに失望し、大規模ロックフェスへの参加停止を決意したが、1971年には「バングラデシュ難民救済コンサート」を企図しジョージの協力を得て実現している。サタジット・レイ監督作品など多くの映画音楽も手掛けた。 ジャン=ピエール・ランパルやユーディ・メニューインといった西洋音楽の奏者との共演も積極的に行い、シタール協奏曲も作曲している。フィリップ・グラスにも大きな影響を与えた。尺八奏者山本邦山、箏奏者宮下伸とも共演している。2013年第55回グラミー賞で功労賞が贈られ、授賞式には娘のノラ・ジョーンズも出向いた。

Director&Staffs

監督・スタッフ

監督:D.A.ペネベイカー Donn Alan Pennebaker

1925-2019

1925年7月15日、米イリノイ州エバンストン生まれ。
1960年代初期にドキュメント映画、記録映画のよりストレートな表現方法とされた「ダイレクト・シネマ」ムーブメントの代表的人物、リチャード・リーコックとロバート・ドリューとともに、「ドリュー・アソシエイツ」を設立。しかし1963年、リーコックとペネベイカーは、自分たちのプロダクション「リーコック・ペネベイカー社」設立のため、「ドリュー・アソシエイツ」を去る。1965年、ボブ・ディランのドキュメンタリー映画の依頼が舞い込み『ドント・ルック・バック』を制作。ロック・ドキュメンタリーの歴史を塗り替える傑作と評価され、ペネベイカーは一躍ダイレクト・シネマ=シネマ・ヴェリテの旗手として注目を集める。1968年に本作『モンタレー・ポップ』、1969年にジェリー・ルイスとリトル・リチャードによる『Keep On Rockin’』を発表。そして73年デヴィッド・ボウイからの指名により『ジギー・スターダスト』の撮影を任される。その後妻のクリス・ヘジダスと設立した会社「ペネベイカー・ヘジダス・フィルムズ」は影響力のあるドキュメンタリーを数多く製作している。
また1960年代初期、ペネベイカーはパリ滞在中にジャン=リュック・ゴダールと出会い、映画を共同制作する話が持ち上がったが、結局頓挫してしまう。数年後、ゴダールのオファーで再び話が持ち上がり、アメリカの公共テレビ局PBSも出資に合意。ヴェトナム反戦運動や五月革命がパリで起きたように、カリフォルニアでも同様のことが起きるというゴダールの主張で、バークレーやニューヨークで撮影が行われた。この映画は当初、ゴダールにより『One A.M』というタイトルがつけられた。日本では、このタイトルを訳した『ワン・アメリカン・ムービー』という名で知られている。ただし日本以外では、その後に改題した『One P.M』ないしは『1PM』というタイトルが一般的。2012年第85回アカデミー賞にてアカデミー名誉賞を受賞。

スタッフ

監督
D.A.ペネベイカー
制作
ジョン・フィリップス/ルー・アドラーライトショー
撮影
D.A.ペネベイカー/リチャード・リーコック/ニック・プロフェレス/アルバート・メイスルズ/ジェームズ・デスモンド/バリー・ファインスタイン/ロジャー・マーフィー
撮影助手
ロバート・リーコック/ブリス・マーデン
舞台監督
ボブ・ニュワース/ティム・カニンガム/ベアード・ハーシー/ジョン・マドックス/ニナ・シュルマン/ピーター・ピラフィアン
舞台照明
チップ・モンク
録音
ウォーリー・ハイダー
追加音響
ロバート・ヴァン・ダイク/ジョン・クック
タイトル
トミー・ウンゲラー
編集
ニナ・シュルマン/メアリー・ランプソン  ユニット・マネージャー ピーター・ハンセン
助手
ポーリン・マーデン/ペイトン・フォン/ラリー・モン

Trivia

トリビア

ジャニス・ジョップリンは、ヒッピームーヴメントを象徴するようなサンフランシスコのバンド、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのヴォーカリストとして2日目に出演するが、エネルギッシュなパフォーマンスがセンセーションを巻き起こし、最終日のスーパースターナイトに急遽出演が決定。その時の映像が本作に記録され永遠のものとなった。一気にスターダムを駆け上がったジャニスだが、3年後この世から旅立ってしまう。

ジミ・ヘンドリックスはすでに英国では注目の的だったが、このフェスティバルで母国米国でもセンセーションを巻き起こし、2年後のウッドストックではオオトリを務めるが、その翌年ロンドンで亡くなる。

ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が、フェスティヴァル直前の6月1日リリースされたが、フェスティヴァルのプログラムに「Peace To Monterey From Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band」という絵入りの手描きメッセージがビートルズの4人から寄せられた。

ジャン=リュック・ゴダール監督は、モンタレーでのジェファーソン・エアプレインのパフォーマンスに夢中になり、68年ペネベイカー監督と共同で『ワン・アメリカン・ムービー』の制作に着手するが途中放棄した。

ペネベイカー監督は、当初から舞台裏のインタビューなどは避けて、パフォーマンスだけを特等席で見るように間近で撮影しようとした。そのために1回に撮影できる時間を30分に伸ばしカメラマガジンは6キロを超えるものとなった。

1967年のある夜、キャス・エリオットの家で、ポール・マッカートニー、ジョン&ミシェル・フィリップス夫妻、そして音楽プロデユーサーのルー・アドラーで、ロックをジャズのようにアートとして認めさせたいといったような話からこの企画が芽生えていった。

オーティス・レディングはフェスティヴァルの後カリフォルニアのマリン郡で「ドック・オブ・ベイ」を書いた。そしてフェスティヴァルから半年後の12月オーティスは飛行機事故で亡くなり、死後この曲はオーティス初のナンバーワンヒットになった。

スコット・マッケンジーが歌った「花のサンフランシスコ」は、フェスティヴァルのプロモーションのためにジョン・フィリップスが作詞作曲し、67年5月に発売され全米4位となった。

ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズは会場に足を運んでいたが、「ビーズやクリスタルの鉤十字、レースで飾られた、驚くような金色のラメ付きコートの身を包んで、まるでフェスティヴァルの影の王様のようだった」。

ペネベイカー監督は、ブルース・ブラウン監督の1966年のサーフィンドキュメンタリー『エンドレス・サマー』を見ていて、カリフォルニアへの興味とそこを撮影したいという欲求が大きく膨らんでいたので、このプロジェクトに即座にのった。

8トラックでの録音は、伝説的な録音技師のウォーリー・ハイダーによってなされた。彼は、ジェファーソン・エアプレイン「ヴォランティアーズ」、グレイトフル・デッド「アメリカン・ビューティ」、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「デジャ・ヴ」など当時のサンフランシスコサウンドの象徴的なアルバムの録音責任者だ。

ポール・マッカートニー(ビートルズ)、ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ)、ドノヴァン、ロジャー・マッギン(バーズ)、スモーキー・ロビンソン、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、ジョン・フィリップス(ママス&パパス)がフェスティバルの世話役として、音楽プロデユーサーたちと共に名を連ねている。

多様なミュージシャンが結集して開催した初めての大規模フェスで、チャリティ目的の最初のロックフェス。その後のウッドストックやライヴエイドなど、アーティストや音楽産業、音楽を愛する全ての人に与えた影響は計り知れない。

Reviws

海外評

新しいタイプのミュージカルは、今最も活き活きとしているメディアの才能とエネルギーを使うことで、まさにこのような音楽パフォーマンスのドキュメンタリーから始まるのかもしれない。
-メリッサ・アンダーソン Village Voice

私たちをステージ上の崇高な存在たちに信じられないほど近づけながら、彼らが永遠に神秘的で、魔法的で、触れられない存在であり続けることを、どういうわけか確信させる。
-レナータ・アドラー New York Times

本当に特別な瞬間だった。
-ピーター・ハウエル Toronto Star

時代やアーティストと同様に、『モンタレー・ポップ』も不完全でありながら、生命力に溢れている。
-トム・ロング Detroit News

この映画は、単に1967 年に制作されたという事実以上に、ノスタルジーを喚起する。
-ドン・ドラッカー Chicago Reader

なぜ『モンタレー・ポップ』は50年経った今でも、特に音楽ドキュメンタリーがこれほど一般的になった今でも心に響くのだろうか? その主因は、ロックのレジェンドたちが、変革の可能性、平和の可能性を提示した時代と場所を捉えているからだ。
-デビッド・ハリス Spectrum Culture

ペネベイカーは、フェスティバルを 80 分のドキュメンタリーに凝縮し、各主要アーティストにスポットライトを当て、ラインナップがいかに多岐にわたるかを強調している。
-ショーン・マルビヒル FanboyNation.com

50 年経った今でも、『モンタレー・ポップ』にはとんでもない衝撃が詰まっている。 観客が歓喜とエクスタシーで飛び上がる最後のシーンでは、まったく同じことをせずにいられない。
-ドロシー・ウッドエンド The Tyee

『モンタレー・ポップ』の、LoveとFlowersを謳った横断幕は、様々な志向の人たちが別々の道を歩む前の姿を映し出している。
リチャード・フォン・ビュザック MetroActive

『モンタレー・ポップ』は、遠い出来事を活き活きと表現しており、次から次へと衝撃的なパフォーマンスが繰り広げられる。
-ショーン・P・ミーンズ Salt Lake Tribune

文化的なムーブメントの支持者の多くが夢見たような影響を未来に与えられなかったことを知りながら、その頂点を目の当たりにするのは何か胸が張り裂けるような思いがする。
-スーザン・G・コール NOW Toronto

ウッドストックはより有名で、アルタモントはより悪名高いが、1967年6月のモンタレー・ポップ・フェスティバルは、ロックンロール世代が初めて一堂に会した偉大なイベントだった。
-トーマス・デラパ Boulder Weekly

Trailer

予告編

Theater

劇場情報
都道府県劇場名公開日
北海道・東北
北海道札幌シアターキノ3/23(土)
シネマアイリス5/10(金)
青森シネマディクト4/6(土)
宮城チネラヴィータ3/22(金)
関東
東京渋谷シネクイント3/15(金)
立川シネマシティ3/15(金)
角川シネマ有楽町3/29(金)
アップリンク吉祥寺4/26(金)
神奈川川崎市アートセンター3/30(土)
CINEMA AMIGO5/26(日)
千葉シネマイクスピアリ4/26(金)
キネマ旬報シアター5/25(土)
茨城シネマサンライズ日立4/12(金)
栃木小山シネマロブレ3/15(金)
宇都宮ヒカリ座3/29(金)
中部
静岡静岡シネギャラリー4/12(金)
CINEMA e_RA4/19(金)
ジョイランドみしま5/17(金)
愛知センチュリーシネマ4/19(金)
富山ほとり座3/23(土)
御旅屋座4/20(土)
長野長野相生座ロキシー6/14(金)
新潟新潟シネ・ウインド5/11(土)
石川シネモンド4/27(土)
関西
大阪シネ・リーブル梅田4/5(金)
京都アップリンク京都4/5(金)
兵庫シネ・リーブル神戸4/12(金)
シネ・ピピア5/10(金)
中国・四国
広島八丁座4/26(金)
愛媛シネマルナティック4/6(土)
山口山口情報芸術センター4/24(水)
岡山シネマ・クレール丸の内5/31(金)
シネまるむすび8/2(金)
香川ホール・ソレイユ6/14(金)
九州・沖縄
福岡KBCシネマ3/22(金)
熊本Denkikan4/26(金)
大分大分シネマ54/20(土)
日田シネマテーク・リベルテ5/25(土)
別府ブルーバード劇場6/14(金)
鹿児島ガーデンズシネマ5/1(水)
宮崎宮崎キネマ館5/24(金)
沖縄シネマプラザハウス3/29(金)
シネマパレット4/12(金)